「気まぐれ日記」No.8 体育館 其の1 (2004/06/02)
昨年6月2日にオープンした「ジャイアント馬場記念館」。1周年を記念して、この「気まぐれ日記」では来年の1月31日の七回忌まで、馬場さんとの思い出がいっぱい詰まっている全国各地の体育館めぐりをしていこうと思います。
まずその第1回は、先だって5月5日にトークショーを開催した新潟県民会館の隣にある新潟市体育館です。
全日本プロレスを旗揚げした当初、日本人レスラーは馬場さんを含めて8人。外国人レスラーの力を借りた形での船出となったわけですが、そんな中で行われたのが『旗揚げジャイアント・シリーズ第2弾』1972年12月19日、新潟大会で馬場さんとザ・デストロイヤーの“条件付き”の一戦でした。
その条件とは、「負けた選手が勝った選手の軍門に降る」というもの。PWF認定世界ヘビー級選手権争奪戦第4戦(60分3本勝負)として行われたこの試合は、1本目が18分29秒、体固めで馬場さんが先取。しかし、2本目は3分43秒、デストロイヤーが足4の字固めで取り返し、迎えた3本目。11分40秒、リングアウトで馬場さんが勝利を収めたのでした。日本プロレス時代にも、馬場さんは何度となくデストロイヤーとシングルで激突したことがありますが、このときの「ジャイアント馬場」だったのではないでしょうか。プロレスラーのメンツに加えて、経営者として日本軍の充実を図りたいという思い。この両方がミックスされたことで、馬場さんは新たなパワーを備えてリングに上がったと思うのです。
試合の2日後、12月21日、東京・後楽園ホールで馬場さんは初めてデストロイヤーとタッグを結成しました。その後、新境地を開拓したデストロイヤーがテレビのバラエティ番組にレギュラー出演し、お茶の間の人気者となったことは皆さんもご存知でしょう。
デストロイヤーさんには多くの思い出がありますが、なんと言っても忘れられないのが馬場さんが亡くなったときのこと。私はアメリカ在住の数名の知人に電話を入れました。その中の一人がデストロイヤーさんだったのですが、彼はすでにそのニュースは知っていました。「僕のほうからも何度も電話をかけていたが、まったくつながらなかったので心配していた。信じられないことが起きてしまったが、大丈夫か」と私を気遣ってくれたあと、「すぐにでも日本に行きたいが、スケジュールの調整をしなくてはならない。なるべく早く行くからね」と。
デストロイヤーさんが来てくれたのは、馬場さんが小さくなって家に帰って来られた日の夜のことでした。彼は小さくなられた馬場さんの箱を抱きしめて、私と一緒に泣きました。二人とも言葉を失ってしまいましたが、気持ちは通じ合っていました。
そのときは3日間、日本に滞在したのち帰国しましたが、4月17日に日本武道館で開催した「お別れの会」まで都合4,5回は来日して、私の話し相手になってくれました。彼が住んでいるバッファローから日本までは、ニューヨーク経由で丸一日かかります。
本当に何度も何度も、よく来てくださったと思います。そして、アメリカに帰るときは必ず馬場さんに向かってこう言うのです。「シャチョウ!(デストロイヤーさんは、馬場さんのことをいつも「社長」と呼んでいました)また来るからね。モトコのことは心配しないで。頑張るからね」。
デストロイヤーさんとの関係は馬場さんのアメリカ武者修行中に生まれましたが、本当に心を許しあえる友になったのは、タッグを組むようになってからでしょう。その意味でも、新潟市体育館はとても思い出深い会場なのです。
この体育館の入り口を抜けてすぐ左側のドアを開けると、三角の形をした一風変わった部屋があります。レスラーの控室として使うことはないのですが、馬場さんは“葉巻ルーム”として愛用していました。体育館に入ると、まずこの部屋で葉巻に火をつけるのですが、煙がこもらないように窓を開け、ドアも開けます。すると、その煙の香りによって、先に会場入りしていた若手レスラーやリング屋さん、会社の営業スタッフたちも「馬場さんだ」と気づくのです。
この部屋では、葉巻を吸う以外にも地元の知人の方に会ったり、コーヒーを飲んだり、軽食を取ったり……。それらをすべて終えたあと、馬場さんはゆっくりとリングシューズをはき、若い選手たちの練習風景を見ながら、リングの下でストレッチを始めます。
馬場さんが、気になる試合を見るポジションは、体育館のステージ上でした。時には葉巻ルームの電気を消して、その中から見ることもありますが、ほとんどの場合、ステージにイスを置いて眺めるのです。そんなある日、80年代後半の新潟大会のこと。この日も馬場さんはステージ上から試合を見ていたのですが、ふと気つけばそのステージの端っこに人影が……。馬場さんは早速、「ステージに上がっちゃいけない」と周囲の人間に注意をさせたのですが、その人影の正体は当時売り出し中だったとんねるずのおふたり、石橋さんと木梨さんだったのです。この日、とんねるずは体育館隣の県民会館でコンサートを行っていたらしく、その合間に観戦に来たとのこと。でも、残念ながら馬場さんはとんねるずとは気づかず、というよりも馬場さんはタレントさんの顔はほとんど分からないのです。
とんねるずのおふたりは、ペコリとお辞儀をしてステージから降りてくださったのですが……後日、キャピタル東急ホテルでお茶を飲んでいるときにおふたりとお会いする機会がありました。すると、おふたりは「新潟では馬場さんに注意されました」と。馬場さんは「そうだった?」とキョトンとしていましたが、横にいた私は笑いをこらえるのが必死でした。
新潟県三条市出身の馬場さんにとって、この新潟市体育館は長岡市厚生会館とともにホームタウンと言っていい会場でした。特に外国人レスラーは、独特の緊張感あふれる雰囲気を肌で感じているようでした。もちろん、馬場さんにとっても子供の頃のさまざまな記憶を思い出す会場、それがこの体育館であったと思います。皆さんのホームタウンはどこですか?

