ザ・馬場さんの言葉集
今年も「明るく楽しく激しいプロレス」で一生懸命頑張りますので、どうぞご声援よろしくお願いします。
「明るく楽しく激しいプロレス」をモットーにやってきました。
プロレスだけじゃなく他のプロスポーツでも「明るく楽しく」というのはあまりないんだそうです。それをあえてやってきたのには、理由があります。
昔からのプロレスは殺伐な陰険なイメージがずっと続いてきました。その暗いイメージから脱皮して明るいスポーツという、そのものにしなけりゃいけないというのが、僕の考えなんです。
プロレスが変わればファンも変わってもらえます。プロレスが明るくなれば、会場にきてもらってファンにも楽しんでもらえます。
今住んでいるマンションの地下に倉庫兼トレーニングジムをもっていて、ウエイトトレーニングの器具をそろえ、マットも3枚敷いてあります。そこで夜中に足の運動をやったりバーベルを持ち上げたり、受け身をとったりという練習を一人でやるんです。
全日本プロレスは毎年1月2日に新春シリーズが開幕しますから、大晦日の夜も練習しました。人が遊んでいる時に自分をいじめるというのは、物凄く気の入ることでした。
オレは全国の体育館の正面からの全景写真を見せられても、何々体育館と言い当てる自信はありませんが、体育館の天井の写 真を見れば、百発百中ですよ。バスは体育館の横から裏につけ、オレたちは選手通 用口から出入りしますから、体育館の正面入口はあまり知らないんです。
でも、天井は試合前に受け身の練習をするたびに見ます。試合中に投げ倒されれば、目に入るのは天井だけです。一日に何十回も天井を見て、それを38年余も続けていれば、いやでも覚えてしまうというわけですね。体育館の天井はみんなそれぞれ大なり小なり違っていて、同じ形は一つもないんです。
オレが一番好きな景色は、函館から長万部へ行く途中で右側に見える大沼国定公園です。ここは汽車で通ってもバスで走っても良く、昔から変わっていません。北海道の景色はやはり雄大ですね。
バス旅でオレが一番好きなのは、新しく出来た道路を走ることです。景色がオレには新鮮ですし、
「ここは次はいつ走れるんだろう。もう来れないかもしれないな」
なんて思いながら見ています。で、次に走ると
「あっ、また来られたな」
って、これも楽しみなんですよ。景色はよほどの悪天候でない限り、オレの期待を裏切りませんからね。
−前人未到の5000試合出場を達成した試合後に報道陣に「次の目標は?」と聞かれ
「5001試合」
僕はもともと記録とかそんなものに関心がありません。「5000試合まできたのかという、そんな気持ちもないんです。
僕らだって、何で今までこうやってきたのかというと、働かなければならないんだ、というのが一番の理由だと思いますよ。そりゃ、かっこ良いことをいえば「プロレスが好きですから」とかいいますよ。でも、そんな綺麗なこと言ったって本音は自分の生活を豊かにしようというハングリー精神以外にないと思います。好きなことだって毎日やってればイヤになりますよ。
でも、我々みたいに2、3週間働いて3週間休みがあるというやり方だと、その3週間の休みが非常に楽しみになります。丁度皆さんが週末が楽しいといわれるのと同じことだと思いますが、我々の場合はもっと山、川、起伏が大きいものだから、その休みがもっと楽しくなるんです。その楽しい休みを取るために、一生懸命に働いているということでしょう。
リングの中で全部出してしまえ。
勝負をしてるんだから、絶対に勝負はつく、つけるまでやる。
それが『明るく楽しく激しい』に入るんじゃないかと思うんです。
選手だけじゃなくって、見に来てくれたお客さん皆さん方も、あたたかく応援してくれたということが、今の全日本プロレスの一番の元だと思うんです。
今は全日本プロレスの場合、日本武道館の試合のチケットを先行発売します。どんな選手が出るのか、どんな組み合わせなのかが決まっていないのに、ファンは買ってくれます。
プロレスの歴史は、いかにお客さんをだますかだったと思います。切符が売れさえすればそれでいいと、出場選手の質を落としてギャラを節約し、逆に売れなくなるといい選手をよぶ、というやり方だったんです。
それを全日本プロレスはファンを決して裏切らない、質の高いものをやる、ということでやってきました。今二十年経ってやっと信用がついてきたんです。この信用を一度でも崩したら終わりです。この信用を守っていくこと、そのためには一生懸命に、そしてまじめにやっていくしかありません。もちろん全日本プロレスのモットーである「明るく楽しく激しく」は、永久に続けていきたいと思っています。
俺のおふくろは学問はなかったけど、俺によく説教はしましたよ。要は『自分で事を起こして、悩むような事はするな。他人に迷惑をかけるな』ということだった。それだけが親の遺言じゃないけど。自分でしでかして、自分で悩むようなことだけはするな、と。それがおふくろの口癖だったねぇ。
親父のことは記憶に残っているようなことが少ないんだ。
でもひとつだけ、親父のことを思い出す場所がある。新潟の海です。
小さい時に二人でよく海水浴に行ったんだよなぁ。大きなおにぎりを持って、十何キロも歩いてね。最後の峠を越えると、目の前にサーッと日本海が広がる。
あの光景が、俺にとっての親父の姿なんだなぁ。
いつもの悪役商会との試合にしても、お客さんを楽しませようと思いながらやってたら、こんなもん、楽しんでくれないと思う。やっぱり、ダメながらでも一生懸命やってることが、お客さんの笑いを誘う。笑わせようと思ってやってたら、お客さんだってすぐ飽きてしまいますよ。
(1990年に)全日本プロレスがピンチになった時も、選手たちの一生懸命がお客さんに伝わったんだと思う。
これからも策は無い、一生懸命以外に無い。一生懸命が感動を呼ぶ。そういう結論は持っとるんだけどもな。
昭和38年10月に、ハワイを2週間各島サーキットをしました。この時、俺はハワイに惚れ込んでしまったんです。ハワイに比べればプエルトリコもフロリダも、湿気が多くて暑すぎます。ハワイは季節が快適な上に日本語もかなり通用し、何よりも東京で飛行機にのったら次はハワイというのがいい。
太陽が沈む前、やや陽が落ちてきた頃の時間が好きでねぇ。完全に陽が落ちてまわりが暗くなると俺はなぜか「もう、うちに帰ろう」という気分になるなぁ。

