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「王道十六文(完全版)」第七章 インター王座奪取 Part2

[2006年08月01日]

 リーグ戦が終了した翌日にザ・デストロイヤーとビリー・レッド・ライオンの義兄弟コンビ(当時は両選手の夫人が姉妹だった)が来日し、ガトニ、マノキャン、シキらが居残って、この年から『ゴールデン・シリーズ』と名づけられた選抜戦に突入、シリーズ中の5月31日にリキパレスでインター王座復活の記者発表が行われた。

『インターナショナル選手権争覇戦参加資格獲得シリ−ズ』と長たらしい名をつけられた私の“資格テスト”第1戦は、6月4日札幌大会で、デストロイヤーとの間に行われることになった。

 札幌大会は3〜4日の2連戦だったが、その初日の3日、TB砲はデストロイヤー、ライオン組に敗れてアジア・タッグ王座から転落した。1−1の後、発熱のため体調不全だった豊登が、私がライオンに牽制されている間に、デストロイヤーの足4の字固めで仕留められてしまっったのだ。初の王座転落だけにこれはショックだったが、かえってこれでデストロイヤーに対する闘志が燃えた。

 試合は60分3本勝負で行われ、34分17秒に両者リング・アウトの1−1となった後、一進一退の攻防のままついに時間切れ引分けとなった。勝てはしなかったが、デストロイヤーも技とスピードで勝負をかけて来て、これはいい試合だったと思っている。後年全日本プロレスの助っ人となったデストロイヤーも、
「あれが、ユーとのベスト・バウトだ」
 と言っていた。このころの私は、45分時間切れという試合がかなり多かったが、60分動きっ放しというのは日本における初体験で、後味のいい試合だった。

 アジア・タッグ王座は7月15日静岡大会で奪還し、翌16日東京・台東体育館大会で、私はデストロイヤーと再戦を行った。この試合は、1本目速攻の55秒でアトミック・ドロップを決めて私が取り、焦ったデストロイヤーに鉄柱にぶつけられて血だるまとなったが、またまた60分を時間切れまで動き回った。1−0で私の勝ち。何とかこれで決着はついた。

 サマー・シリーズにはさしたる大物外人レスラーの参加はなく、9月21日にハリケーン・シリーズが開幕した。これがいろいろとトラブルの多かったシリーズで、その後日本マット界では、“ゲンが悪い”とシリーズ名に『ハリケーン』を使わなくなったほどだ。

 シリ−ズ前に豊登が、WWA世界選手権の“二人王者”問題に決着をつけるべく渡米、いったんは2つのベルトを腰に巻いたが、例によってWWAの謀略に遭い、2つとも失って帰国したのが、ケチのつき始めだったのかもしれない。

 私は“資格獲得戦”第3戦を10月22日富山大会で、ザ・ブッチャーを相手に行った。ブッチャーは前名をドン・ジャーディン、後に覆面をつけてスーパー・デストロイヤーと名乗ったレスラーで、凶器を使うあまり好感の持てる男ではなかった。この試合は1−1の後、ぬらりくらりとやられてまた60分を時間切れ引分け。頭に来た私は再戦での完全決着を誓ったが、同24日高田大会終了後、テレビ出演のため深夜東京に向かったブッチャーたちの車が、長野県下で田んぼに突っ込んで転覆し、ブッチャーとジ・アサシンズA・Bの外人組主力勢が負傷してしまったのだ。このため25日東京体育館、26日船橋の2大会が中止となった。しかも、アサシンズは、
「大した負傷じゃない」
 とプロレスラーらしい意地を見せたが、アサシンズより軽傷だと思われたブッチャーは、入院したまま日プロに補償を請求して来た。試合に出場する気は全く無い。東京大会で予定されていた私の再戦は流され、代打としてアルバート・トーレスが急きょ来日し、シリーズは28日横浜大会から再開された。その翌29日静岡大会で、私はひどい目に遭った。
この日のメイン・エベントで私は吉村道明と組み、トーレス、カール・カールソン組と対戦したが、1−1の後の3本目、トーレスのフライング・ヘッドシザーズを食った私は、脳天からマットに突っ込んでしまった。意識ははっきりしているのだが、体に全く力が入らず、動かすことが出来ない。マットに寝たまま私は、吉村が袋だたきにされて押え込まれるのを見ていなければならなかった。何ともみっともない格好だ。控室にかつぎ込まれ、ようやく体が動くようになっても、体に電気が走ったようにビリビリしていた。

 翌30日都下昭島大会に会場入りしても、まだ体に電気が残っている感じだったが、試合は休ませてもらえなかった。仕方なくシングル・マッチの予定を6人タッグ・マッチに変更してもらったが、ま、お陰で無欠場記録を伸ばすことが出来たのだから、出場を強制した幹部に感謝すべきかもしれない。この日のセミ・ファイナルでは、吉村がトーレスのキックで肩の筋を切り、欠場に追い込まれた。これだけアクシデントが続けば、『ハリケーン』の名も敬遠されるというものだろう。
“資格獲得戦”第4戦はこのトーレスと、11月2日蔵前国技館で行い、十八番のコブラ・ツイストを食って2本目は早目にギブ・アップしたが、1、3本目を取って静岡大会の仇を討った。トーレスはエンリキ、ラモン、アルバート3兄弟の末弟で、アメリカでも名うてのテクニシャンだったが、パワーでははるかに私に分があった。

 第5戦は翌3日大阪府立体育館大会で、曲者と言われたアサシンAを2−0のストレートで降した。しつっこいファイトをする覆面・全身タイツのレスラーだったが、このクラスに手こずるわけにはいかない。

 5戦を3勝2引分けで終了して、どうやら私は“資格テスト”にパスしたようだ。豊登社長に呼ばれて私は、
「馬場チャン、あんたに世界一でかいチャンスをやるよ。決定戦の相手はブルーザーだ」
 と言われた。“日本一、世界一”というのは豊登の口癖のようなものだったが、ディック・ザ・ブルーザーの名を聞いて、正直なところ私は膝がガタガタッと震えた思いだった。

 ブルーザーには私はロスで会っている。その前に1度、クリーブランドでも会った。試合も見ている。ポカポカッとぶん殴って、アトミック・ボムズアウェーで踏みつぶして終わりという、喧嘩そのものの試合ばかりだった。あの筋肉の塊りには、技は通用しそうもない。かといって殴り合いでブルーザーに勝てる男は、アメリカにも一人もいなかった。とにかく“地球一のタフ・ガイ”と自称する大変な男だ。
「いよいよブルーザーと対決することになったか」
 と思うと、体に震えが走ったのだ。武者震いが半分で、後の半分は今だから言えるが、こわかった。何をされるかわかったもんじゃないという恐怖感があった。

 ブルーザーは11月23日に初来日、羽田国際空港からホテル・ニューオータニに直行し、葉巻を横っちょにくわえて、川島正次郎コミッショナー(自民党副総裁)立会いの調印式に乗り込んで来た。私への第1声は、
「ヘイ、キッド!とうとうお前とやることになったな」
 だった。余談だが、ブルーサーは今なお現役で、シカゴあたりではブルーザーが出ると出ないでは客足が違うほど、根強い人気を持っている。“ギャングの街”といわれたシカゴのカラーに、まるでゴッド・ファザーのようなブルーザーはズバリなのだ。私も渡米すると、よくブルーザーには出会う。その時の彼の挨拶は、いつも、
「ヘイ、キッド!元気か!?」
 だ。私は今もって、ブルーザーから見ればキッド(小僧)らしい。

 この調印式で完全に小僧っ子扱いされた私は、残念ながらその迫力に押されっ放しで、それこそグーの音も出なかった。口惜しいが、貫禄の差はいかんともし難い。生まじっか突っぱれば、かえって足もとを見すかされ、ナメられるのがオチだろう。

 翌24日、王座決定戦の行われる大阪への新幹線の中で、私は懸命に作戦を立てようとしたが、どうにもいい考えが浮かばない。そのまま府立体育会館に入って、やはり作戦に気を取られていたのか私は、控室のドアを体をかがめて通り抜けたつもりで、鴨居に脳天をぶつけてしまった。その痛さで私は、あることを思い出した。

 38年に帰国参加した第5回ワールド・リーグ戦中の、たしか名古屋・金山体育館の控室だったと思うが、雑談が空手談議となり、私が、
「唐竹割りを脳天に食わせたらどうかな」
 と言ったところ、力道山に、
「バカヤロー、そんなことやったら、相手が死んじまうぞ!」
 と怒鳴られたのだ。
「筋肉の鎧を着たようなブルーザーには、脳天を攻めるしかないかな」
 作戦と言えるものではないが、私はそんなことを考えていた。

 ブルーザーは案の定、スタートからメガトン・パンチをたたき込んで来た。ポカポカッと殴られ蹴っ飛ばされ、まるでダンプカーに正面衝突したような感じだ。思い切り胸元に水平チョップをたたき込んだが、のけぞるだけで倒れない。お返しは2倍、3倍になって返って来た。ヤケになって空手を連打すると、リング下に転落したフリをして手当り次第に凶器を持ち込んで来る。さらに急所打ちだ。リング下にころげ落ちた私の首を、ブルーザーは記者席の電話コードを引きちぎって絞め上げ、レフェリーのミスター・モトは17分59秒私の反則勝ちを宣した。

 本当に絞め殺されるかと思った。頭に来た私は、2本目開始のゴングを聞いてリング下に飛び降り、電話コードを探したが、もう片づけられていた。ニヤリと笑ったブルーザーは、またうなりを生ずるような鉄拳の雨。私は思わずその脳天に唐竹割りをたたき込んでいた。ブルーザーが吹っ飛んだ。予想以上の威力だ。私は水平チョップに脳天唐竹割りを混じえ、2度、3度とカウント2を奪った。凄い形相となったブルーザーは、急所打ちから今度は素手で私を絞め殺しにかかった。制止しようとしたモトはリング下まで吹っ飛ばされ、私は2本目も5分31秒反則勝ちを拾った。
記録上は2−0のストレート勝ち。チャンピオン・ベルトは私の腰に巻かれた。だが私は恥ずかしかった。控室に引き揚げて全員の祝福を受けた時は、もういたたまれない思いだった。豊登は記者たちに、
「ブルーザーをフォールした選手は一人もいない。馬場は3度もフォール寸前まで追い込んだ。立派な勝利だ」
 と語っていたが、レスラーには、殴られっ放しで反則勝ちするよりは、相手をぶっ飛ばして反則負けになった方がいいとするところがある。それがレスラーのプライドだ。2本とも反則勝ちでは、みんなは内心私を軽蔑しているだろうし、私のプライドも許さない。私は情無い顔で祝福を受けながら、
「よし、東京で汚名挽回だ!」
 と誓っていた。タイトル・マッチ契約は2戦となっている。大阪で王座に着いた者が、東京で初防衛戦を行うという契約だ。私はこの日を王座決定戦のつもりで、11月27日蔵前国技館大会に臨んだ。

 私はスタートから、大阪大会で自信をつけた脳天唐竹割りをぶち込んだ。力道山は“死んじまう”と言ったが、並みのレスラーならともかく、ブルーザーなら死にっこないという自信(?)があった。ブルーザーはちょっと勝手が違ったようだが、さすがは地球一のタフ・ガイで、ガンガンとキックを返して来た。私は脳天唐竹割りをたたき込み、ふらついて後ろ向きとなったブルーザーをかかえ上げると、当時私が得意技の一つとしていたアトミック・ドロップを爆発させた。ブルーザーは頭からロープの間を突き抜けてリング下まで吹っ飛んだが、転んでもただは起きない。国技館の床板をバリバリッとはがすと、その棒切れを振りかざしてリングに上がって来た。ささくれだった棒で突かれたのではたまらない。私はその出鼻に思い切り助走をつけての32文ドロップ・キックをたたきつけた。

 ブルーザーは、私がドロップ・キックをやるとは夢にも思っていなかったようだ。アゴと胸板に私の足は突き刺さった。私の生涯における会心の一発だ。ぶっ倒れたブルーザーの片足を取り、私は押え込んだ。モトの3カウントがこんなに長く感じられたことはなかった。7分50秒、私はブルーザーからフォールを奪ったのだ。

 ブルーザーの顔が、真っ赤に紅潮した。両眼が屈辱と怒りに燃えている。こんな凄い顔、そしてレスラーとしてはこんな素晴らしい顔は、めったに拝めるものじゃない。私は思わずうなってしまった。ブルーザーの反撃は、その顔と同じに凄かった。私の左腕を折らんばかりにねじり上げ、マットに着けて踏みにじると、苦痛でゆがめた私のロに手を突っ込んで引き裂いた。もう滅茶苦茶だ。私も脳天唐竹割りで反撃したが、ブルーザーはパンチをダースでたたき込んで来る。一発一発がズン!と全身に響くパンチだ。

 私は水平チョップ、脳天唐竹割りを10発、20発とたたきつけた。またパンチとキックがダースで返って来る。キックも、爪先をみぞおちに突き刺して来る反則のトー・キックだ。これは利く。グラッと来たところへアッパーカットを突き上げられ、さらにボディー・スラムで投げられて、ついにブルーザーの必殺技コーナー・ポストてっペんからのアトミック・ボムズアウェーを食ってしまった。18分24秒試合は振り出しに戻った。

 3本目、私は一気に勝負に出た。ゴングと同時にブルーザーのコーナーに突っ込み、
「本当に死んじまえ!」
 とばかりに脳天唐竹割りを連打した。だがブルーザーは、殺したって死ぬ男じゃない。ガクッとマットに膝をつきながらも、アッパーカットが飛んで来た。アゴに、ボディに、そして急所に。“ウッ”と息が詰まったところを、リング下に放り出された。強引に這い上がると、フットボールで7つの大学を渡り歩いたというブルーザーのタックルが飛んで来た。ガンと受け止めて相打ち。2発目はショールダー・スルーで大きくはね上げると、ブルーザーの体はロープ越しにリング下に直行した。戦場をリング下に移しての殴り合い。私は脳天唐竹割りを開発していたお陰で、ブルーザーと五分に殴り合えた、いや、互角以上だったという秘かな自負もある。とにかく新兵器脳天唐竹割りに、ブルーザーがひるんだのは事実だった。

 私は調子に乗りすぎて殴り合い、4分55秒両者リング・アウトのゴングを聞いてしまったが、天下のブルーザーを相手にこれだけ殴り合ったということで、気分はスカッとしていた。私は初防衛に成功したのだ。再び腰に巻いたこのベルトにふさわしい試合が出来たと、私は初めてファンの歓呼に応えて手を振ることが出来た。

 インターナショナル・ヘビー級王者。かつては天上人とも思えた力道山だけに許された称号だった。プロレス入りして5年7カ月余、デビューして5年2カ月余、私はこの時日本マット界でただ一人のシングル王者となった。27才の馬場正平にとっては、これが人生の一つの節目とも言えた。
『日本マット界、いよいよ馬場時代に突入!』
 翌日のスポーツ紙は、そう書いてくれていた。


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