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ジャイアント馬場 年表

[2006年07月29日]
1938年  1月23日 新潟県三条市西四日市町に果物商の父 馬場一雄、母 ミツの次男として生まれる。兄 一人、姉 二人
1944年  4月 1日 四日町国民学校に入学
小学校時代にから野球に熱中、少年野球団「若鮎クラブ」のエースで活躍
1950年  4月 1日 三条第一中学校に入学
野球部で中越地区大会優勝。三年生時にモルモン教の洗礼を受ける
1953年  1月 新潟県立三条実業高校工業科(現 三条商業高校)に入学
1955年  1月 プロ野球「読売巨人軍」からスカウトを受け入団
新潟県第1号のプロ野球選手となる。背番号は59
1956年 10月 二軍ながら12勝1敗の最優秀投手に輝く
1957年 10月 13勝2敗で2年連続最優秀投手に
1959年 10月 3年連続最優秀投手となる
1960年  1月 左肘のけがによりプロ野球投手生命を断念
 4月11日 日本プロレス入門
 9月30日 東京・台東体育館 対桂浜戦でプロレスラーとしてデビュー
5分15秒 股裂きで初勝利を飾る
1961年  7月 1日 初渡米。芳の里、マンモス鈴木とともに武者修行
 8月25日 サンディエゴでアート・マハリックを相手にアメリカマットデビュー
1962年  6月 シカゴ・アンフェシアターでNWA王者バディ・ロジャースへの挑戦。異例の5連戦連続挑戦を行う
1963年  2月 4日 ロサンジェルスのオリンピック・オーデトリアムでWWA王者 ザ・デストロイヤーに挑戦、反則勝ちを収めるも規定により王座は獲得ならず
 3月17日 力道山とともに凱旋帰国
 3月22日 第5回ワールドリーグ参加。馬場正平からジャイアント馬場のリングネームとなる。4勝2敗1分けの好成績
10月 7日 再度渡米武者修行へ
1964年  2月 5日 デトロイト オリンピック・スタジアムで
NWA王者 ルー・テーズに挑戦、2vs1で敗れる
 2月17日 ニューヨーク マジソン・スクエア・ガーデンで
WWWF王者 ブルーノ・サンマルチノに挑戦、市条例により引き分け
 2月28日 ロサンジェルスでWWA王者 フレッド・ブラッシーに挑戦
と短期間に全米を股にかけ3大王座に連続挑戦という偉業をなす
 4月 3日 帰国、即第6回ワールドリーグ参加
 5月29日 札幌で豊登と組んでキニスキー&ハリケーン組からアジアタッグ選手権奪取
12月 3度目の渡米。32文ドロップキックを身に付ける
1965年 11月24日 NWA代表のディック・ザ・ブルーザーを下し、復活インターナショナル・ヘビー級王座のチャンピオンとなる
1966年  2月28日 東京体育館にてルー・テーズからインターナショナル王座を防衛
11月 5日 吉村道明とのコンビでインターナショナルタッグ王座を奪取。二冠王になる
12月 3日 日本武道館プロレス初興行。フリッツ・フォン・エリックを相手にインターナショナル王座7度目の防衛
1967年  2月17日 元柔道日本一 坂口征二 入門。ともにアメリカ特訓のため渡米
 3月 2日 蔵前国技館にてWWWF世界王者 ブルーノ・サンマルチノを相手にインターナショナル王座を防衛
 5月17日 横浜文化体育館にてザ・デストロイヤーを下しワールドリーグ2度目の優勝
10月31日 アントニオ猪木とインターナショナルタッグを奪取
1968年  8月 7日 大阪球場でブルーノ・サンマルチノを相手にインター王座防衛。
父・一雄さんが亡くなる
12月 6日 現役NWA世界王者 ジン・キニスキーを相手にインター王座防衛
1969年  9月13日 ロサンジェルスのオリンピック・オーデトリアムでザ・シークを相手にインター王座を成功
12月 3日 NWA世界王者 ドリー・ファンク・ジュニアと60分時間切れ。ランニング・ネックブリーカー初公開
1970年  5月20日 ドン・レオ・ジョナサンを下しワールド・リーグ戦制覇
 7月30日 NWA世界王者 ドリー・ファンク・ジュニアと52分35秒両者リングアウト
1971年  5月19日 ワールド・リーグ戦優勝
 7月 母・ミツさんが亡くなる
 9月16日 ハワイにて元子夫人と結婚式を挙げる
1972年  5月12日 ワールド・リーグ戦優勝。この生中継を最後に日本テレビは日本プロレスの中継を終了
 7月29日 日本プロレスに辞表提出
 8月18日 日本プロレスでのラストファイト。12年4か月在籍。
大木金太郎と組んでモンゴルズに勝つ
 9月 2日 インターのシングル・タッグの王座を返上
 9月 9日 全日本プロレス設立発表
10月21日 全日本プロレス旗揚げ試合
10月22日 日大講堂で世界ヘビー級ベルトをかけてブルーノ・サンマルチノと対戦。引き分け
12月 9日 ザ・デストロイヤーを下し、陣営に引き入れる
1973年  2月 全日本プロレス NWA加盟
 2月27日 東京体育館でボボ・ブラジルを破り、世界選手権争覇戦を終了。
インタ王座のベルトを巻く
 3月16日 PWF世界ヘビー級初代王者に認定される
 4月21日 福井でマーク・ルーインを下し、第1回チャンピオン・カーニバル制覇
10月 9日 凱旋帰国の鶴田友美デビュー戦でパートナーをつとめ、ザ・ファンクスと対戦
1974年  6月24日 10年ぶりにマジソン・スクエア・ガーデンに出場、ゴリラ・モンスーンを倒す
12月 2日 鹿児島でジャック・ブリスコを下し第49代NWA世界ヘビー級王者となる。日本人初の快挙
1975年  5月 3日 日大講堂でブルーノ・サンマルチノとWWWF,PWFダブルタイトルマッチ
 7月25日 日大講堂でフリッツ・フォン・エリックをテキサス・デスマッチで倒す
12月 2日 オープン選手権開催
12月11日 力道山13回忌特別興行
12月18日 川崎市体育館でホースト・ホフマンを下しオープン選手権優勝
1976年  7月24日 ビル・ロビンソンを相手にPWF王座を防衛
1977年  5月14日 ジャンボ鶴田を下し、チャンピオン・カーニバル優勝
10月29日 大木金太郎とPWF、アジアのダブルタイトルマッチに勝利
12月 2日 世界オープン・タッグ選手権開催
1978年  4月 7日 仙台でブッチャーを下し、チャンピオン・カーニバル優勝。
東南アジア遠征
12月15日 ジャンボ鶴田と組み世界最強タッグ決定リーグ戦優勝
1979年  2月10日 シカゴでアブドーラ・ザ・ブッチャーからPWF王座を奪還
 8月26日 東京スポーツ社主催「夢のオールスター戦」開催
10月31日 愛知でハーリー・レイスからNWA世界王座を奪取。
第55代王者に2度目の戴冠
1980年  4月25日 高知でのザ・シークとのシングルマッチで国内公式戦3000試合連続出場記録を達成
 6月18日 ハワイで18人参加のバトルロイヤルに出場。アンドレ・ザ・ジャイアントと初顔合せ
 6月28日 デトロイトでのタッグ王座決定ワンナイトトーナメントにジャンボ鶴田とのコンビで出場。見事優勝
 9月 4日 佐賀でハーリー・レイスより3度目のNWA世界王座奪取。第57代王者に
12月11日 世界最強タッグ決定リーグ戦 ジャンボ鶴田とのコンビで優勝
1981年  1月18日 PWFダブルタイトルマッチ3000試合連続出場突破記念試合AWA世界、PWFダブルタイトルマッチ バーン・ガニアと引き分ける
 4月30日 大阪でブルーザー・ブロディからフォール勝ちを奪い、チャンピオン・カーニバル優勝
10月 9日 全日本プロレス創立10周年記念興行。
ブルーノ・サンマルチノと組んでタイガー・ジェット・シン、上田馬の介組と対戦
1982年  2月 4日 東京体育館でスタン・ハンセンと初対決、PWF王座を防衛
 4月16日 第10回チャンピオン・カーニバル7度目の優勝
 7月 7日 結婚発表記者会見
1983年  1月23日 「ジャイアント馬場くんをますますテレさす会」開催
 2月11日 ミズーリ州セントルイスでハーリー・レイスよりPWF王座を奪回
1984年  4月25日 横浜での試合で首を負傷。連続試合出場記録が3711でストップ
 6月22日 新日本プロレス興行との業務提携を発表
 7月31日 蔵前国技館でスタン・ハンセンよりPWF王座を奪還
1985年  6月21日 日本武道館でラッシャー木村を破りPWF防衛
10月21日 両国国技館で世界初のNWA,AWA世界ダブルタイトルマッチを実現させる
1986年  8月 大相撲 元横綱 輪島大士の入門、特訓のため渡米
1987年 10月 1日 キャピトル東急ホテルで全日本プロレス創立15周年記念パーティー
12月16日 「ハル薗田選手夫妻を偲ぶメモリアル・セレモニー」
1988年 10月28日 ラッシャー木村との義兄弟タッグ実現
1989年  2月25日 義兄弟タッグで世界タッグ挑戦
1990年  4月14日 東京ドームで「日米レスリングサミット」開催
 9月30日 後楽園ホールでデビュー30周年記念特別試合。
アブドーラ・ザ・ブッチャーと組んでアンドレ・ザ・ジャイアント&スタン・ハンセン組と対戦
11月30日 帯広の試合中、左大腿骨亀裂骨折。三か月の入院
1991年  6月 1日 復活の日日本武道館にて「復活の日」。183日ぶりの復帰戦を飾る。
1992年 10月21日 日本武道館にて旗揚げ20周年記念試合
1993年  4月20日 福島体育館で前人未到の5000試合出場
 6月 1日 日本武道館で5000試合達成記念試合
1994年  3月 5日 日本武道館でファン投票による「夢のカード」出場。
スタン・ハンセンと組んで三沢光晴、小橋健太組と対戦
1995年  3月24日 後楽園ホールで川田利明、田上 明と組んでスタン・ハンセン、三沢光晴、小橋健太と対戦。60分フルタイム
10月25日 日本武道館でデビュー35周年記念試合。
スタン・ハンセン、ジャンボ鶴田と組み、田上明、大森隆男、本田多聞に快勝
1996年  9月29日 後楽園ホールでデビュー36周年記念試合
10月18日 日本武道館で旗揚げ24周年記念試合
1997年  9月26日 キャピトル東急ホテルで旗揚げ25周年記念パーティー
10月21日 日本武道館で旗揚げ25周年記念試合出場
1998年  1月23日 後楽園ホールにて還暦記念試合。リング上で川田利明、小橋健太、渕 正信組と対戦。ジャンピング・ネックブリーカーで渕から見事フォールを奪う
 5月 1日 全日本プロレス単独としては初の東京ドーム興行開催。
5万8300人の大観衆を集める。ハヤブサ、志賀賢太郎と組んで新崎人生、ジャイアント・キマラ、泉田 純組と対戦し、快勝
11月30日 宮城県スポーツセンター大会に出場後、12・2松本大会を906試合ぶりに欠場
12月 4日 12・3静岡大会欠場後、千葉公園体育館大会に復帰
12月 5日 年内最終戦の日本武道館大会出場。国内通算5758戦目。
シリーズ終了後、検査入院に入る
1999年  1月 2日 新春シリーズは欠場
 1月 8日 腸閉塞の手術
 1月31日 午後4時4分、肝不全により永眠
 2月 2日 自宅にて密葬。戒名は顕峰院法正日剛大居士
 4月17日 お別れの会最後のリングとなった日本武道館にてジャイアント馬場 お別れの会「ありがとう」
 5月 2日 東京ドームにてジャイアント馬場『引退』記念興行を開催。
特別立会人ロード・ブレアース、6万5000人の大観衆の見守る中、スクリーンにて往年のライバル ザ・デストロイヤー、ブルーノ・サンマルチノ、ジン・キニスキーと5759試合目を闘った
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