| 1938年 |
1月23日 |
新潟県三条市西四日市町に果物商の父 馬場一雄、母 ミツの次男として生まれる。兄 一人、姉 二人 |
| 1944年 |
4月 1日 |
四日町国民学校に入学 小学校時代にから野球に熱中、少年野球団「若鮎クラブ」のエースで活躍 |
| 1950年 |
4月 1日 |
三条第一中学校に入学 野球部で中越地区大会優勝。三年生時にモルモン教の洗礼を受ける |
| 1953年 |
1月 |
新潟県立三条実業高校工業科(現 三条商業高校)に入学 |
| 1955年 |
1月 |
プロ野球「読売巨人軍」からスカウトを受け入団 新潟県第1号のプロ野球選手となる。背番号は59 |
| 1956年 |
10月 |
二軍ながら12勝1敗の最優秀投手に輝く |
| 1957年 |
10月 |
13勝2敗で2年連続最優秀投手に |
| 1959年 |
10月 |
3年連続最優秀投手となる |
| 1960年 |
1月 |
左肘のけがによりプロ野球投手生命を断念 |
| 4月11日 |
日本プロレス入門 |
| 9月30日 |
東京・台東体育館 対桂浜戦でプロレスラーとしてデビュー 5分15秒 股裂きで初勝利を飾る |
| 1961年 |
7月 1日 |
初渡米。芳の里、マンモス鈴木とともに武者修行 |
| 8月25日 |
サンディエゴでアート・マハリックを相手にアメリカマットデビュー |
| 1962年 |
6月 |
シカゴ・アンフェシアターでNWA王者バディ・ロジャースへの挑戦。異例の5連戦連続挑戦を行う |
| 1963年 |
2月 4日 |
ロサンジェルスのオリンピック・オーデトリアムでWWA王者 ザ・デストロイヤーに挑戦、反則勝ちを収めるも規定により王座は獲得ならず |
| 3月17日 |
力道山とともに凱旋帰国 |
| 3月22日 |
第5回ワールドリーグ参加。馬場正平からジャイアント馬場のリングネームとなる。4勝2敗1分けの好成績 |
| 10月 7日 |
再度渡米武者修行へ |
| 1964年 |
2月 5日 |
デトロイト オリンピック・スタジアムで NWA王者 ルー・テーズに挑戦、2vs1で敗れる |
| 2月17日 |
ニューヨーク マジソン・スクエア・ガーデンで WWWF王者 ブルーノ・サンマルチノに挑戦、市条例により引き分け |
| 2月28日 |
ロサンジェルスでWWA王者 フレッド・ブラッシーに挑戦 と短期間に全米を股にかけ3大王座に連続挑戦という偉業をなす |
| 4月 3日 |
帰国、即第6回ワールドリーグ参加 |
| 5月29日 |
札幌で豊登と組んでキニスキー&ハリケーン組からアジアタッグ選手権奪取 |
| 12月 |
3度目の渡米。32文ドロップキックを身に付ける |
| 1965年 |
11月24日 |
NWA代表のディック・ザ・ブルーザーを下し、復活インターナショナル・ヘビー級王座のチャンピオンとなる |
| 1966年 |
2月28日 |
東京体育館にてルー・テーズからインターナショナル王座を防衛 |
| 11月 5日 |
吉村道明とのコンビでインターナショナルタッグ王座を奪取。二冠王になる |
| 12月 3日 |
日本武道館プロレス初興行。フリッツ・フォン・エリックを相手にインターナショナル王座7度目の防衛 |
| 1967年 |
2月17日 |
元柔道日本一 坂口征二 入門。ともにアメリカ特訓のため渡米 |
| 3月 2日 |
蔵前国技館にてWWWF世界王者 ブルーノ・サンマルチノを相手にインターナショナル王座を防衛 |
| 5月17日 |
横浜文化体育館にてザ・デストロイヤーを下しワールドリーグ2度目の優勝 |
| 10月31日 |
アントニオ猪木とインターナショナルタッグを奪取 |
| 1968年 |
8月 7日 |
大阪球場でブルーノ・サンマルチノを相手にインター王座防衛。 父・一雄さんが亡くなる |
| 12月 6日 |
現役NWA世界王者 ジン・キニスキーを相手にインター王座防衛 |
| 1969年 |
9月13日 |
ロサンジェルスのオリンピック・オーデトリアムでザ・シークを相手にインター王座を成功 |
| 12月 3日 |
NWA世界王者 ドリー・ファンク・ジュニアと60分時間切れ。ランニング・ネックブリーカー初公開 |
| 1970年 |
5月20日 |
ドン・レオ・ジョナサンを下しワールド・リーグ戦制覇 |
| 7月30日 |
NWA世界王者 ドリー・ファンク・ジュニアと52分35秒両者リングアウト |
| 1971年 |
5月19日 |
ワールド・リーグ戦優勝 |
| 7月 |
母・ミツさんが亡くなる |
| 9月16日 |
ハワイにて元子夫人と結婚式を挙げる |
| 1972年 |
5月12日 |
ワールド・リーグ戦優勝。この生中継を最後に日本テレビは日本プロレスの中継を終了 |
| 7月29日 |
日本プロレスに辞表提出 |
| 8月18日 |
日本プロレスでのラストファイト。12年4か月在籍。 大木金太郎と組んでモンゴルズに勝つ |
| 9月 2日 |
インターのシングル・タッグの王座を返上 |
| 9月 9日 |
全日本プロレス設立発表 |
| 10月21日 |
全日本プロレス旗揚げ試合 |
| 10月22日 |
日大講堂で世界ヘビー級ベルトをかけてブルーノ・サンマルチノと対戦。引き分け |
| 12月 9日 |
ザ・デストロイヤーを下し、陣営に引き入れる |
| 1973年 |
2月 |
全日本プロレス NWA加盟 |
| 2月27日 |
東京体育館でボボ・ブラジルを破り、世界選手権争覇戦を終了。 インタ王座のベルトを巻く |
| 3月16日 |
PWF世界ヘビー級初代王者に認定される |
| 4月21日 |
福井でマーク・ルーインを下し、第1回チャンピオン・カーニバル制覇 |
| 10月 9日 |
凱旋帰国の鶴田友美デビュー戦でパートナーをつとめ、ザ・ファンクスと対戦 |
| 1974年 |
6月24日 |
10年ぶりにマジソン・スクエア・ガーデンに出場、ゴリラ・モンスーンを倒す |
| 12月 2日 |
鹿児島でジャック・ブリスコを下し第49代NWA世界ヘビー級王者となる。日本人初の快挙 |
| 1975年 |
5月 3日 |
日大講堂でブルーノ・サンマルチノとWWWF,PWFダブルタイトルマッチ |
| 7月25日 |
日大講堂でフリッツ・フォン・エリックをテキサス・デスマッチで倒す |
| 12月 2日 |
オープン選手権開催 |
| 12月11日 |
力道山13回忌特別興行 |
| 12月18日 |
川崎市体育館でホースト・ホフマンを下しオープン選手権優勝 |
| 1976年 |
7月24日 |
ビル・ロビンソンを相手にPWF王座を防衛 |
| 1977年 |
5月14日 |
ジャンボ鶴田を下し、チャンピオン・カーニバル優勝 |
| 10月29日 |
大木金太郎とPWF、アジアのダブルタイトルマッチに勝利 |
| 12月 2日 |
世界オープン・タッグ選手権開催 |
| 1978年 |
4月 7日 |
仙台でブッチャーを下し、チャンピオン・カーニバル優勝。 東南アジア遠征 |
| 12月15日 |
ジャンボ鶴田と組み世界最強タッグ決定リーグ戦優勝 |
| 1979年 |
2月10日 |
シカゴでアブドーラ・ザ・ブッチャーからPWF王座を奪還 |
| 8月26日 |
東京スポーツ社主催「夢のオールスター戦」開催 |
| 10月31日 |
愛知でハーリー・レイスからNWA世界王座を奪取。 第55代王者に2度目の戴冠 |
| 1980年 |
4月25日 |
高知でのザ・シークとのシングルマッチで国内公式戦3000試合連続出場記録を達成 |
| 6月18日 |
ハワイで18人参加のバトルロイヤルに出場。アンドレ・ザ・ジャイアントと初顔合せ |
| 6月28日 |
デトロイトでのタッグ王座決定ワンナイトトーナメントにジャンボ鶴田とのコンビで出場。見事優勝 |
| 9月 4日 |
佐賀でハーリー・レイスより3度目のNWA世界王座奪取。第57代王者に |
| 12月11日 |
世界最強タッグ決定リーグ戦 ジャンボ鶴田とのコンビで優勝 |
| 1981年 |
1月18日 |
3000試合連続出場突破記念試合AWA世界、PWFダブルタイトルマッチ バーン・ガニアと引き分ける |
| 4月30日 |
大阪でブルーザー・ブロディからフォール勝ちを奪い、チャンピオン・カーニバル優勝 |
| 10月 9日 |
全日本プロレス創立10周年記念興行。 ブルーノ・サンマルチノと組んでタイガー・ジェット・シン、上田馬の介組と対戦 |
| 1982年 |
2月 4日 |
東京体育館でスタン・ハンセンと初対決、PWF王座を防衛 |
| 4月16日 |
第10回チャンピオン・カーニバル7度目の優勝 |
| 7月 7日 |
結婚発表記者会見 |
| 1983年 |
1月23日 |
「ジャイアント馬場くんをますますテレさす会」開催 |
| 2月11日 |
ミズーリ州セントルイスでハーリー・レイスよりPWF王座を奪回 |
| 1984年 |
4月25日 |
横浜での試合で首を負傷。連続試合出場記録が3711でストップ |
| 6月22日 |
新日本プロレス興行との業務提携を発表 |
| 7月31日 |
蔵前国技館でスタン・ハンセンよりPWF王座を奪還 |
| 1985年 |
6月21日 |
日本武道館でラッシャー木村を破りPWF防衛 |
| 10月21日 |
両国国技館で世界初のNWA,AWA世界ダブルタイトルマッチを実現させる |
| 1986年 |
8月 |
大相撲 元横綱 輪島大士の入門、特訓のため渡米 |
| 1987年 |
10月 1日 |
キャピトル東急ホテルで全日本プロレス創立15周年記念パーティー |
| 12月16日 |
「ハル薗田選手夫妻を偲ぶメモリアル・セレモニー」 |
| 1988年 |
10月28日 |
ラッシャー木村との義兄弟タッグ実現 |
| 1989年 |
2月25日 |
義兄弟タッグで世界タッグ挑戦 |
| 1990年 |
4月14日 |
東京ドームで「日米レスリングサミット」開催 |
| 9月30日 |
後楽園ホールでデビュー30周年記念特別試合。 アブドーラ・ザ・ブッチャーと組んでアンドレ・ザ・ジャイアント&スタン・ハンセン組と対戦 |
| 11月30日 |
帯広の試合中、左大腿骨亀裂骨折。三か月の入院 |
| 1991年 |
6月 1日 |
日本武道館にて「復活の日」。183日ぶりの復帰戦を飾る。 |
| 1992年 |
10月21日 |
日本武道館にて旗揚げ20周年記念試合 |
| 1993年 |
4月20日 |
福島体育館で前人未到の5000試合出場 |
| 6月 1日 |
日本武道館で5000試合達成記念試合 |
| 1994年 |
3月 5日 |
日本武道館でファン投票による「夢のカード」出場。 スタン・ハンセンと組んで三沢光晴、小橋健太組と対戦 |
| 1995年 |
3月24日 |
後楽園ホールで川田利明、田上 明と組んでスタン・ハンセン、三沢光晴、小橋健太と対戦。60分フルタイム |
| 10月25日 |
日本武道館でデビュー35周年記念試合。 スタン・ハンセン、ジャンボ鶴田と組み、田上明、大森隆男、本田多聞に快勝 |
| 1996年 |
9月29日 |
後楽園ホールでデビュー36周年記念試合 |
| 10月18日 |
日本武道館で旗揚げ24周年記念試合 |
| 1997年 |
9月26日 |
キャピトル東急ホテルで旗揚げ25周年記念パーティー |
| 10月21日 |
日本武道館で旗揚げ25周年記念試合出場 |
| 1998年 |
1月23日 |
後楽園ホールにて還暦記念試合。リング上で川田利明、小橋健太、渕 正信組と対戦。ジャンピング・ネックブリーカーで渕から見事フォールを奪う |
| 5月 1日 |
全日本プロレス単独としては初の東京ドーム興行開催。 5万8300人の大観衆を集める。ハヤブサ、志賀賢太郎と組んで新崎人生、ジャイアント・キマラ、泉田 純組と対戦し、快勝 |
| 11月30日 |
宮城県スポーツセンター大会に出場後、12・2松本大会を906試合ぶりに欠場 |
| 12月 4日 |
12・3静岡大会欠場後、千葉公園体育館大会に復帰 |
| 12月 5日 |
年内最終戦の日本武道館大会出場。国内通算5758戦目。 シリーズ終了後、検査入院に入る |
| 1999年 |
1月 2日 |
新春シリーズは欠場 |
| 1月 8日 |
腸閉塞の手術 |
| 1月31日 |
午後4時4分、肝不全により永眠 |
| 2月 2日 |
自宅にて密葬。戒名は顕峰院法正日剛大居士 |
| 4月17日 |
最後のリングとなった日本武道館にてジャイアント馬場 お別れの会「ありがとう」 |
| 5月 2日 |
東京ドームにてジャイアント馬場『引退』記念興行を開催。 特別立会人ロード・ブレアース、6万5000人の大観衆の見守る中、スクリーンにて往年のライバル ザ・デストロイヤー、ブルーノ・サンマルチノ、ジン・キニスキーと5759試合目を闘った |